悲しい死亡事故はもういらない
被害者の遺族になって初めてわかったこと:
(はじめに)
私はみなみの叔母です。みなみは、私の一歳年下の弟夫婦のもとに、13年前元気に生まれてきました。お兄ちゃん二人に可愛がられて3人とても仲よしです。みなみが生まれた時私たちは皆「今度はレースやフリルの服が着せられるねえ」と、みなみの誕生を喜んだものです。弟夫婦は可愛い子供3人に恵まれ、お陰様で暖かい幸せな家庭を築いてきました。みなみは、学校が大好きで母親似の可愛い女の子です。陸上部で真っ黒に日焼けして健康そのものです。
それが突然、見ず知らずの男性の「よそ見運転」のために、未来を奪われてしまいました。みなみは、弟夫婦の大切な大切な宝です。その宝物を!なぜ!みなみを返して! 私共遺族の怒りと悲しみはとても言葉にできません。けれど、大勢の方に「交通事故を減らさなければ!」と実感して頂けたらという思いから、日常の雑感を書いています。
(その1)
冬の日差しはポカポカと暖かく包んでくれてありがたいものです。私は毎日空を見上げて、そんな日だまりのような愛情を、天まで届けとばかりに、空に向かって送ります。みなみの心がポカポカと温かくなるように。でも、涙を抑えることはできません。ここまでなら、どなたでも想像できることでしょう。ここまでは。
遺族になって初めてわかったことは、涙が頬を落ちる時「泣き顔を見せたらみなみが不安になる、みなみが安心するように笑顔を見せなければ」と思うのです。だから、涙をポロポロ流しながらも無理に笑顔を作って空を見上げるのです。私は思います。よそ見運転でみなみを殺した加害者は、遺族が毎日こんな泣き笑いを続けているなんて、夢にも思わないだろうと。悔しいです。明るい将来に胸をふくらませていた女の子の人生を奪う権利が、誰にあるのでしょうか!加害者は中年から熟年に入る男性です。この男性はもう何十年も生きてきたくせに、まだ生まれて13年しか経っていない女の子を殺したのです。なのに、交通刑務所にも入らず、今まで通りの生活を続けているそうです。自分の家で自分の家族と一緒の、今までどおりの暮らし。こちらには、もう一日たりとも、今までと同じ生活を送れる日はやって来ないというのに!
どうしてこの人は殺人罪に問われないのでしょうか。現在、日本の道路交通法は、他の先進諸国と比べて極めて甘く、被害者を交通事故死させても飲酒運転でもない限り、交通刑務所にも入らなくていいのだそうです。被害者が亡くなっても、加害者は「申し訳ありませんでした。後の交渉は保険会社として下さい」と謝るだけで済む現実。初めて知りました。これでは交通事故が減らないことは、どなたの目にも明らかでしょう。今の刑罰は軽すぎます。これでは、警鐘になりません。もし仮に死亡事故を起こせば死刑もしくは終身刑とわかっていれば、どれだけ今の日本から交通事故が減ることでしょう。もっと刑罰を重くすべきです。
明日の犬の散歩の時も、わたしはまた同じ泣き笑いを繰り返すでしょう。空に向かって、ニコニコ光線を送ります。天国でみなみにその光が降り注ぐように。13歳のみなみの心をポカポカにしてあげたいから。
(その2)
喪中のはがき、年末になるとどなたの手にも何枚か届くことと思います。そして、どなたも、そのはがきを読んで、ご遺族の心中に思いを馳せられることでしょう。私もそうでした、今までは。ところが、遺族の身になってみると、予想もしない大変さが待ち受けていました。文面を考えることはまだ、ましでした。文例の中から選ぶなんてことは、とてもできません。あの子のために、あの子にふさわしい文面を考えてあげなければ。黒いはがきではみなみが可哀想すぎます。あの子の好きな水色の縁取りで、崇高な中にもかわいさのある喪中葉書が見つかるまで、捜しました。
予想外の気持ちに直面したのは、葉書が仕上がってからでした。葉書を出したくないのです。「このまま黙ってそうっとしておけば、もしかしたら、みなみがひょっこり帰ってきてくれるかもしれない。」と思うのです。葉書を出してしまったら、もう帰ってきてくれない気がします。私は途方に暮れました。刻々と一日一日が過ぎて行くのに、宛名書きができません。悲しい事実を変えようがないことは、頭ではわかっているのですが、心は全然そう思っていないのです。「そうっと、そうっと、しておけば、、、もしかしたら、、、みなみが、、、 」あの可愛いピンクのお家の玄関を入って来るみなみが、目に浮かぶのです。
そんな思いで一枚一枚宛名書きをするのが、どんなにつらいことか、私は加害者に知らせたい。(原口友子)
前輪を支えるフロントフォークが片方外れて、フレームがずいぶん曲がっています。相手の自動車が自転車の前の方に(自転車の右側から)当たったようです。ハンドルが後ろを向いていて、サドルも横向きです。支えがないと立ちません。
自転車はバス停の前あたりまで10m近く飛ばされていたようです。事故当日見つからなかったみなみの靴の一足は前のお宅の駐車場で見つかり、返していただきました(ありがとうございました)。
第1回公判報告
加害者の刑事責任を問う裁判の第1回公判が、9月15日名古屋地方裁判所にて行われました。検察官から、罪状は「業務上過失致死」であり、脇見運転であったこと、速度は約55キロ(制限速度40キロ)であったこと、約4メーター手前でみなみの姿を視認し、ブレーキを踏み、ハンドルを右に切ったがブレーキ・ハンドルの効果が現れる前にはねたこと等、調書の朗読があり、加害者はこれを認めました。また、「天国のみなみへ」のホームページのこと、皆様から寄せられるお手紙のこと紹介されました。
第2回公判報告(2004年11月10日)
加害者の運転していた車に掛けてあった任意保険の担当所長を加害者側の証人として調べが行われました。遺族の意見陳述の機会をいただき、私が意見を述べました。その後検事さんより「禁固3年」の論告求刑がありました。
第3回公判報告(2004年11月24日)
名古屋地方裁判所503号法廷にて第3回公判があり、裁判官より「禁固2年6月、執行猶予4年」の判決がありました。
その後、被告側、検察側ともに控訴はなく、加害者の刑が確定しました。
2005年3月21日午後1時半頃、名古屋市昭和区の住宅街で交通事故の現場に遭遇しました。住宅地の中の片側1車線の道路を車で通っていると前の2台の車が大きく反対車線までよけて行きました。見るとタクシーが1台ちょっと変な向きに止まっていました。その横に子供の靴が片方だけ落ちていました。少しねじ曲がった自転車が目に入りました。そして道路より一段高い歩道の縁石に女の子が血を流して坐っているのが見えました。大丈夫そうだと思いつつ、少し先に車を止め、戻りました。すでに数人の人が取り巻いて、携帯で連絡している様子でしたが、女の子は額と左手から少し血を流して、流れた血が右の大腿部に垂れた様子で、血に驚いたのか、「痛いよう痛いよう」と泣いて、痛むのか左手を伸ばした格好で、歩道の縁石に坐っていました。何年生?と尋ねると「6年生」と答え、名前も家の電話番号も言えました。意識もはっきりしており、左手の指も動かせましたが、額から倒れたようで、額に3センチくらいの大きなこぶが出来て、擦り傷から少し出血していました。誰かが「そこは危ないから歩道の方へ」と言ってくれて、両脇を支えて立たせ、歩道の奥の方に移動できました。お母さんにも連絡が取れたところで、救急車のサイレンが聞こえてきて、救急車が到着。後は救急隊の方に任せました。事故は目撃していませんが、交差点での出会い頭の事故のように見えました。住宅街の道路でタクシーのスピードが出ていなかったことが、大事に至らなかった要因のように感じました。
40km以上の速度の車(1000kgもあります)のエネルギーはとてつもなく大きく、生身の人がぶつかると、人の身体は修復不能なまでに破壊されてしまい「高エネルギー外傷」と呼ばれます。
車を運転される皆さん 車で人を傷つけないよう 最大限の注意をお願いします
2005年3月21日 みなみの父 たかあき
「交通事故は犯罪」訴え
息子の死責任追及 朝日新聞 2006年7月30日朝刊より
犠牲者数「最悪」の愛知
女性らの笑い声が響く店内で、難解な判決文を1文字ずつ指で追う。5月10日、名古屋高裁近くの喫茶店。愛知県豊田市のケアマネージャー沢田穂子さん(52)は、会社員の夫、国雄さん(57)とともに、30分前に言い渡された損害賠償請求訴訟の控訴審判決を読んだ。
長男雄大(ゆうた)さん(当時22)が亡くなった交通事故で、事故の責任はすべて相手側にあるとする、一審と同様の判決だった。 「雄大が生きた証しとして、過失がなかったことを認めてくれてうれしい」。一方で「なぜ息子は死ななければならなかったのか」との思いもこみあげる。事故後10キロやせた穂子さんの目から、涙があふれた。
民事で訴訟
03年12月3日。大学4年生だった雄大さんは、地元の葬祭会社の内定式にスーツ姿で出席した。穂子さんとお祝いに外で食事をし、社会人生活の夢を語った。翌日午後。大学で卒業論文の指導を受けるため、バイクに乗って最寄り駅に向かった。自宅から5分の交差点。対向車線から右折してきた大型トラックと衝突し、転倒した。カルテには「脳死パターン」の文字。事故から17日後、雄大さんの心臓は止まった。
葬儀は、内定式があったホールで、内定先の葬祭会社によって営まれた。学外の国際交流活動で知り合った友人らが次々と訪れる。参列者は600人にのぼった。
前をよく見ていなかったとして、トラック運転手の男性(26)は業務上過失致死罪で起訴された。04年10月、名古屋地裁岡崎支部で判決が出た。禁固1年6ヵ月の求刑に対し、禁固1年6ヵ月執行猶予5年で、そのまま確定した。穂子さんたちは納得できなかった。男性は車の免許をとった後、事故までの6年間に8回、交通違反を繰り返していた。飲酒運転で20万円の罰金刑も受けている。一周忌に自宅を訪ねてきた男性に言った。「あなたは車を運転する資格がない。一生償うというのなら、免許を持たないことが何よりの供養だし、謝罪だ」。男性は黙って聞いていた。だが、1年間の免許敢り消し期間が過ぎると、また運転を始めた。判決は、執行猶予の理由の一つに「雇用企業の代表者が被告を指導する旨述べている」ことをあげた。しかし判決後ほどなく、男性は勤め先の会社を解雇された。「雄大さんにも注意義務があり、落ち度が全くなかったとはいえない」ともしていた。責任の所在をあらためて明らかにするため、民事訴訟を起こした。
わだかまり
訴訟の控訴審判決は斗トラックの前方不注視を主因と判断した。さらに、右折方法が変則的だったことを重くみて、雄大さんが注意を払っても事故は防げなかったと認定。この判決が確定した。穂子さんは、事故の後、続けることができなかったケアマネジャーの仕事を4月から再開した。わだかまりは今も残ったままだ。でも、来年11月の雄大さんの誕生日には、自宅でデイサービスの仕事を始めようと準傭を始めている。「雄大は、社会貢献をしたいと内定式の日に言っていた。きっと喜んで書くれると思う」
警察庁のまとめでは、愛知県内の交通事故死者は03年362人、04年368人。都道府県別でワースト3位、2位と悪化した。昨年の交通事故死者は351人で、14年ぶりに全国最悪を記録。今年も全国最悪ペースが続き、すでに180人以上が命を落としている。
この死者数の統計には、事故発生から24時間をすぎて亡くなった雄大さんのような例は含んでいない。現実の犠牲者数は、ずっと多い。
「家族にとれば、突然命を奪われるのは『殺人』と同じ。交通事故も犯罪だという認識が、まひしていませんか」。穂子さんたちは問いかけている。(大井田ひろみ)