|
|||||||||||||||
名鉄のレールバス 名鉄におけるレールバスの歴史は、1984年(昭和59年)9月23日に八百津線(明智〜八百津間)に富士重工製のLE−Car、キハ10形(11〜13)が投入されたことにより始まります。 続いて翌年3月14日、三河線(猿投〜西中金間)が非電化路線として再スタート。 同時にキハ10形(14〜16)が登場。今回の増備車から冷房装置が取付けられました。 キハ10の増備は6両で終了し、1987年(昭和62年)に一回り大きい2軸ボギー車、キハ20形、21が登場。三河線での活躍が始まりました。 1990年(平成2年)7月1日からは三河線、海線区間の碧南〜吉良吉田間も非電化になり、キハ22〜25が増備されています。 1995年(平成7年)になると早くも初代LE−Car10形の置換が始まり、キハ30形(31〜34)の4両が登場しました。これによりキハ10形は全廃。15・16の2両は宮城県の『栗原電鉄』(営業開始時は『くりはら田園鉄道』に社名変更)に譲渡されました。 キハ30形の運用区間は、31.32が八百津線、33.34が20形と同じ三河線非電化区間で、主に33は山線(猿投〜西中金)、34は海線(碧南〜吉良吉田)で運用されていました。 2001年(平成13年)10月1日、八百津線が廃止されたのを期にLE−Car9両すべてが三河線に集結。これを受けて同年末にキハ21.22が除籍され翌々年にミャンマーに旅立ちました。 残された7両のLEは三河線末端区間と運命を共にし、平成16年4月1日よりキハ30形4両は舞木検車場に留置中。キハ20形3両は同年5月24日未明、猿投を後に新天地へ向け旅立ちました。 |
|